不安な世の中で爆発する

現代日本社会に不安を覚える。

終身雇用制の終焉は正直どうでもよいが、ストレスストレスストレス社会だ。

 

マナー、いらない、覚えられない。

肩書き、いらない、本質ではない。

 

欲しいのは熱意、好きだという気持ち。

好きに一生懸命に、とことん極める。

 

芸術は爆発だ

アウトプットを力を鍛えたい

就職活動ってプレゼン能力とか要約能力とかいうアウトプット力が必要とされますよね。上手くアウトプットできれば人生はきっとバラ色に輝くのでしょう。

 

しかし、僕にはそれがありません!!!!人生灰色コースだぜ!!!!

プレゼンは下手糞だし、要約も咄嗟にはできません。

 

 

 

辛ぃょ…

 

 

 

 

そこで、どうすればアウトプットが上手くなるのかインターネッツで調べてみたよ。

アウトプット能力を上げるためには、

 

1.アウトプットするつもりでインプットする

例えば、授業を聞くときは、後で聞いた内容を発表するんだという心持で聞くと良いらしい。普通こんなことしませんよね。私は専らインプットだけに注力しちゃいます。今度からは話を聞く姿勢を見直してみます。

2.アウトプットする機会を増やす

例えば、何らかで見たり聞いたりした内容をこのようにブログ記事にしたり、ツイッターに垂れ流してみたりすると良いらしい。実践を重ねることで力がつくのでしょう。

 

以上2点に注意すると良いらしい。

 

そこで、私も始めます「ツイッター」。

twitter.com

オードリーのオールナイトニッポンin武道館 ライブビューイング行ってきた

タイトルの通り、オードリーのオールナイトニッポンin武道館のライブビューイングに行ってきました。


右隣の席の男がクセのある笑い方だったり、左隣の席の女は彼氏についてきました〜❤️って感じで、オードリーに興味なさそうだったりと視聴環境に難はあったものの、




ライブの中身は期待していた以上に面白かった!The 集大成のラジオとボディビルとラップと漫才を観ることができました。これほど行ってよかったと思えるイベントは初めてでした。なので、


熱く語りたいぜ〜、ライブの感想をな!!


しかし、全てについての感想を述べると長くなりすぎると思うで、今回は約30分の漫才についての感想を書いてみます。


確かネタの大筋としては、春日は超能力を使えると言い張るが、全く期待する結果を引き起こさないみたい感じでした。


感覚としてはロバートの邪念ゼロ研究所と完成しないトム・ブラウンみたいな漫才?

まあ、そんなことはどうでもいいですよね。


二人の悪ふざけがとことん面白くて面白くて、M1で初めて二人のネタを観た時ぐらいかそれ以上に笑いました。


「おい、やってんな!」と茶々をいれられそうですが、どん底から成功を掴んだオードリーの輝く姿を観て胸が熱くなりました。僕も些細な事でくじけることなく、一生懸命生きようと思います。泣

32個以上トレーニング

「最近言葉が出てこないなー」と思い始めてもう何年も経つ。

言っても私は高齢ではない。全くと言っていいほどである。ぴちぴちなのだ。

 

ぴちぴっちなのによく言葉に詰まる。

また、喋りは上手な方だという自負もあったはずなのによく言葉に詰まる。

 

兎にも角にも、最近、といっても結構前から、言葉に詰まる。

結構しゃべり上手いですよ?と言わんばかりの話の切り出し方をしているのに、

「アレ」の使用回数が半端ではない。アレがアレでアレはアレ状態なのだ。

 

面白い話を披露したかったのに「アレ」の使用回数が多いと、アレなのだ。

聞いている側もアレれのれ。全く話に入り込めないだろうし。テンポも悪い。

絶妙な言い回しやドンピシャの例えも出ないのだから話の技術も落ちた。

 

要するに語彙力が発揮できなくなっている。

小学生の頃はその語彙力から放たれるワンフレーズで笑いをかっさらっていたのにだ。

 

そもそも小学生レベルから向上していないだけでは?という疑念の目は向けないでくだ

さい。いたたまれなくなるじゃないですか。

 

 

 

そこで、その問題の解決策がないかネッツで探してみたところ、

『32個以上トレーニング』という、いわばリハビリ療法があるらしいことが分かった。

 

『32個以上トレーニング』とは要約すると、あるお題にへの回答を制限時間内に32個以

上用意するトレーニングである。

例えば、Q.好きなテレビ番組は?とくれば、ヒルナンデス!とかバイキングとかいう風

に紙に書き出していく。

制限時間は自分を丁度良く苦しめられる時間でよい。要は残り時間を意識することが大

事なのだそう。

 

で、それを行うとどうなるのかと言えば、なんか脳の潜在意識が呼び覚まされるらし

い。なんとも宗教染みた言い方だ。

ちなみに「32個以上トレーニング 科学的根拠」で検索してみたがノーヒットだった。

まあ、連想ゲームは脳に良いと聞くし、私は信じてみても良いと思った。

 

 

 

なので、明日から一日一回を目標にこのトレーニングを行うことをここに宣言する。

すべては面白い話をし続けるために!

 

明日からという条件付きなのは、実は今日はもう五回も行ってしまっているからだ。

流石に、毎日五回はしんどすぎる。今もちょっと頭痛がある(気がする)。

 

では、明日のお題は「理想の恋人の条件」にしようかな。ではでは。

初夢をみた

新年あけましておめでとうございます。

 

「初夢」ってあるじゃないですか。

定義としては、元旦の夜にみる夢、または同月の2日の夜にみる夢とかなんとか

言われてますけど、元旦の朝から昼過ぎまでにみた夢は「初夢」になりますかね?

 

と言いますのも、今日私が夢をみていたのがそのあたりの時間帯でして、

しかも、その夢の内容が気になっている人とデートに行くという内容だったんですね。

 

デートが初夢って、富士山とか鷹とかなすびより幸先良さそうですよね。

 

そう思って、「夢占い デート」で検索したら、ただただ日頃の願望があらわれた

だけで、暗示的な意味合いはないとのこと。何やねん。

 

しかし、こういうことにはこじつけが大事ですよね、多分。デートが初夢って…

「今年は恋愛に関して上手くいく年である」ことを暗示してますよね、絶対。

 

言うてますけども。

 

 

 

「アクセス件数0件のままでどれだけブログ継続日数を更新できるのか」

f:id:n1k41:20190101164133p:plain

 

みてください。初めてこのブログが人の目に留まりましたよ。あざっした。

 

てことで、この無益な挑戦も終了です。最終結果は6日となりました。

まあ、これ以上続けてても、まともな精神を保っていられなかったでしょうから、

これでよかったと思います。

 

というわけで、これからは気軽な気持ちでブログを更新していきます。yeah!

嫉妬について考える

誰しも、一度くらい他人が楽しんでいる様子を羨ましく感じた経験があるだろう。

そして、それに対して嫉妬の感情を抱いたりする。

 

しかし、そんな嫉妬心は捨ててしまっても構わないと私は考える。

その理由は以下の通りである。

 

 

 

他人が楽しそうにしているところを見たり、聞いたりすると、

第一に人間はそれに対して共感を覚える。

すなわち、「楽しい」という気持ちのタイプを共感する。

次に、その相手が感じるであろう「楽しさ」はどれだけ楽しいのだろうかと、

相手の「楽しさ」を量化する。

 

この量化は、「もし自分がその場にいればどれだけ楽しいか」を自身の

楽しかった記憶を頼りにしたり、想像力を駆使して行われると思う。

そして、その相手の「楽しさ」を量化して初めて、相手の経験したであろう

「楽しさ」と自分の経験した「楽しさ」とを「比べる」ことができるのである。

しかし、この「比べる」という行為が嫉妬の始まりなのである。なぜなら

嫉妬とは、自分「よりも」良い思いをしている他人を羨ましく思うことだからだ。

 

だが思うに、量化なんて嘘である。共感できるのは相手の「感情タイプ」だけで、

その感情の量や質をも共感することはできないのではないか。

そして、「感情タイプ」それ自体は延長をもたないので、

それを自分のものさしで「計る」ことは原理的に不可能である。

つまり、前述の量化された相手の「楽しさ」なんて虚構に違いないのだ。

だから、そんなものに嫉妬心を燃やしてムキになるのは時間の無駄だと考える。

 

しかし、嫉妬のおかげで成功することもあることをみるに、

全ての嫉妬心が無駄なわけではあるまい。

だから、折衷案として自分にとって不利益だと思う嫉妬に関しては、

どんどん切り捨てていければ良いのだと思う。

 

 

 

「アクセス件数0件のままでどれだけブログ継続日数を更新できるのか」

f:id:n1k41:20181231172951p:plain

謎のDepression

二日連続で、ラウンドワンは好かないだの、「まったけ」は嫌だの

ネガティブな記事を書いてしまったので、今日は有益なことを書いてみようと思う。

 

最近は「確率的因果」について興味があるので、SEPを少し覗いてみた。

 

確率的因果についての論文を見つけたはしたが、ただ読むだけではつまらないので、

その記事を節ごとに要約したものをここに記しておこうと思う。

 

 

 

 

と思って一回書いてみていたのだが、面倒になってやめてしまった。

 

専門用語を使いまくれば、短くかけるが読者(0人)を置いてけぼりにしてしまうし、

平易に説明を加えながら書くと、文章量が膨大になってしまう。

さらに、仮に長文で書いて、アクセス数0だったら流石に泣いてしまう。

というジレンマに陥ってしまった結果、泣く泣く全文削除した。

 

しかし、このままではただのだめな奴なので、少しだけ記しておこう。

 

ヒュームの恒常的連接に基礎を置く因果論は問題が多いし、

物理主義的な因果理解も量子の登場で窮地に立たされたから、

それらに代わるものとして確率的因果を考えてみましょう。

ということだった。どこが有益やねん!?という突込みが入りそうだが、

もう今日はこの辺でいいや。

 

 

 

「アクセス数0件のままでどれだけブログ継続日数を更新できるのか」

f:id:n1k41:20181230183855p:plain

本当に世界中に公開されているのか疑問になってきた。

 

逆に記録が伸びてると考えよう。当面は記録を伸ばすためにも、

注目を浴びない記事、(今日はちょっとブレたが)自分の心境とかを

書いていこうと思う。