嫉妬について考える
誰しも、一度くらい他人が楽しんでいる様子を羨ましく感じた経験があるだろう。
そして、それに対して嫉妬の感情を抱いたりする。
しかし、そんな嫉妬心は捨ててしまっても構わないと私は考える。
その理由は以下の通りである。
他人が楽しそうにしているところを見たり、聞いたりすると、
第一に人間はそれに対して共感を覚える。
すなわち、「楽しい」という気持ちのタイプを共感する。
次に、その相手が感じるであろう「楽しさ」はどれだけ楽しいのだろうかと、
相手の「楽しさ」を量化する。
この量化は、「もし自分がその場にいればどれだけ楽しいか」を自身の
楽しかった記憶を頼りにしたり、想像力を駆使して行われると思う。
そして、その相手の「楽しさ」を量化して初めて、相手の経験したであろう
「楽しさ」と自分の経験した「楽しさ」とを「比べる」ことができるのである。
しかし、この「比べる」という行為が嫉妬の始まりなのである。なぜなら
嫉妬とは、自分「よりも」良い思いをしている他人を羨ましく思うことだからだ。
だが思うに、量化なんて嘘である。共感できるのは相手の「感情タイプ」だけで、
その感情の量や質をも共感することはできないのではないか。
そして、「感情タイプ」それ自体は延長をもたないので、
それを自分のものさしで「計る」ことは原理的に不可能である。
つまり、前述の量化された相手の「楽しさ」なんて虚構に違いないのだ。
だから、そんなものに嫉妬心を燃やしてムキになるのは時間の無駄だと考える。
しかし、嫉妬のおかげで成功することもあることをみるに、
全ての嫉妬心が無駄なわけではあるまい。
だから、折衷案として自分にとって不利益だと思う嫉妬に関しては、
どんどん切り捨てていければ良いのだと思う。
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